向こう隣のラブキッズ


第4話 初詣ではしとやかにイカしたい


「えーっ? 着物?」
しおりは不満そうに言った。
「そうだよ。しおりちゃん。お正月なんだから、着物を着て初詣でに行かなきゃ」
父がにこにこと言った。日比野家のお正月。朝の食卓を囲んでの会話である。
「いやよ。着物なんか着てたら歩きづらいし、帯で締め上げられてたら、せっかくの屋台の美味しい物が食べられないじゃない」
おせち料理の伊達巻をつつきながら、ちらと母に救いを求める。が、母は歩にお雑煮のおかわりをよそってやりながら言った。
「いいじゃないの。しおりだって女の子なんだし、せっかく七五三の時に作った着物、着れるだけ着なきゃもったいないしね」
「もうっ。いくら何でも着れないよ。わたし、もう11才になったんだよ」
「あら、大丈夫よ。着物って結構、余裕があるんだから……」
「無理だと思うな。それに面倒だよ、着物なんて……」

しかし、そんなしおりの気持ちにはお構いなしに父はうれしそうに言った。
「お父さん、しおりちゃん達の晴れ姿を撮ろうとカメラ買って用意してたんだよ」
と、やたら張り切っている父に、歩がかまぼこをほお張りながら付け足す。
「使い捨てカメラだけどね」
「使い捨てだって何だって撮れればいいのよ」
と、お母さんもうれしそうに笑っている。
「……にしたって面倒臭いよ。今時、着物なんかで初詣でに行く人なんて滅多にいないし……」
しおりは自分だけが着物を着せられることがいやだった。
「だったら、歩だって七五三の時に着たスーツで行きなよね」
矛先を弟に向けてしおりが言った。
「え? そんなの無理に決まってんじゃん。おれ、すっごく背が伸びたんだぜ。そんなの全然着れないよ」
歩はにやにやとしおりを見て言う。

「もうっ! 意地悪ね」
「着物を着たら、ちっとは女の子らしく見えるかもしれないぜ」
歩がきんとんの栗を箸で挟んで口に入れようとした時、しおりがその背をばんと叩いた。その拍子に栗は飛んで、父の雑煮のお椀にポチャリと落ちた。
「あーっ! 何てことすんだよ? おれの栗」
「そんな栗の1個や2個いいじゃない」
しおりが言うと歩はムキになって立ち上がった。
「ふざけんなよ! あれっておれの最後の1個の栗だったんだぞ! 返せ!」
歩が怒鳴る。
「あ、ほら、これ、歩くんの栗」
お椀に沈んでいた栗を箸で摘んで父が歩のお皿に戻す。
「やだよ! こんな雑煮の味が付いちゃった栗なんか……」
と、歩がごねる。
「そんなこと言ったってしょうがないじゃん。落ちちゃったんだもん」
澄ました顔で言うしおりに歩が食ってかかる。
「ふざけんなよ! 返せ! 返せよ! おれの栗ィ」
ぎゃんぎゃんと喚き散らしている歩を見て、父も母も困った顔をしている。二人の皿にももう栗は残っていなかったからだ

「仕方ないわね。それじゃあ、初詣での帰りに買って帰りましょうか」
母が言った。
「あーっ! そんなのずるいよ、歩だけ我侭通してさ。そんなら、伊達巻も買ってよね」
しおりが言った。
「えーっ! しおりなんかちゃんと自分の分け前全部食べてるじゃんか」
歩が反論する。
「いいの! もっと伊達巻食べたいんだもん。ねえ、いいでしょ? お母さん」
しおりが甘えたような声を出す。
「そうねえ。お正月だしね」
と、母が微笑する。
「だったら、かまぼこも買ってよね」
歩が抗議するように言う。
「えーっ?」
しおりが何か言い掛けたその時、脇から父が言った。
「お父さんは数の子がいいな」

という訳で、結局、初詣での帰りに買い物をしてこようということになった。
「それにしても、着物を着るなんて絶対にいやだからね」
しおりはそう言うと2階の自分の部屋へ上がって行った。

「しおりちゃん」
隣の家の窓が開いて、姫乃が顔を覗かせる。
「あ、姫乃お兄ちゃん」
たちまち、しおりの表情が緩まる。
「僕達もこれから初詣でに行くんだ。一緒に行けるといいね」
「え? ほんと? うん。もちろんお兄ちゃんと一緒に行くわ」
しおりはにっこりと微笑んだ。
「楽しみだなあ。しおりちゃんの着物姿。やっぱり、女の子は着物着るといいよね」
「え? 姫乃お兄ちゃんは着物が好きなの?」
「そりゃあね。だって、素敵じゃない。僕は好きだな。着物姿の女の人」
姫乃がうっとりと呟く。
「そ、そうよね。やっぱ、日本人は着物でしょう。ちょっと待っててね。今、着替えて来るから……」
そう言うとしおりは大急ぎで階段を駆け下りて行った。

「お母さん! 着物は? 着物! 早く着替えないと!」
しおりが叫ぶ。
「あら、着物は着ないって言うから箪笥にしまっちゃったわよ」
「何でよ? 日本人はやっぱり着物でしょう? 初詣でには着物を着なきゃ」
そんな風にやたらとせきたてるしおりに母が困惑していると、父がうれしそうに近づいてきて言った。
「そうか。やっぱりそうだろう? しおりちゃんならきっとわかってくれると思っていたんだ」
「そうよ。ねえ、早く着せて」
「はいはい。わかりました」
母が着付けを始める。が、やはり、しおりは去年よりも随分背が伸びていた。
「あら、これじゃ、ちょっと無理かしら? やっぱりお洋服にしましょうか?」
母の言葉にしおりは手を合わせて言った。
「そんなのだめよ。わたし、どうしても着物が着たいの。お願い。何とかして」
「そうねえ。ほとんど帯と重なってしまうけど、これでいいかしら?」
何とか母ががんばって着せてくれた。

「おお! 最高だよ、しおりちゃん。やっぱり着物を着ると美人に見えるねえ」
まだ家の中だというのに、父はパチパチと写真を撮りまくった。
「ちょっと、お父さんてば、今からそんなに撮ってしまったらフィルムなくなっちゃうよ」
しおりが言うと父は自信満々に言った。
「大丈夫。替えのカメラならいっぱいあるんだから」
そう言うと父は買い物袋にぎっしり詰まったカメラの山を見せた。
「さすが」
しおりは呆れた。が、そんなことはどうでもよかった。
(早くお兄ちゃんに見てもらうんだ)
しおりは急いで階段を上がろうとして、思わずこけそうになった。足がうまく開かないのだ。
「もうっ! これだから着物って面倒なのよ」
そう言うとしおりは着物のすそをまくり上げて階段を上ろうとした。
「あ! だめよ。そんなにたくし上げたら、崩れちゃうでしょ? 何しろぎりぎりなんだから」
母が言った。
「え? そんなもんなの?」

しおりは仕方なくすそを下ろす。そんな姉の様子をにやにやといやらしい目つきで上の方から見下ろしている歩。
「ははは。しおりなんかに着られて着物がかわいそうだぜ」
「ちょっと! そんなところから言ってないで降りて来なさいよ! そしたら、思い切りぶん殴ってやんだから」
「へえ。やれるもんならやってみな」
しおりが上がって来れないと見るや、歩は強気に身構えた。
「もうっ! 降りてきたらひどいわよ! 覚えてなさい」
しおりの言葉に歩は笑う。
「へへ。そういうの負け犬の遠吠えっていうんだってさ」
「何よ! あんたなんか犬どころか臆病者のネズミのくせに」
「そんなら、しおりはずぶとくてたくましいゴキブリじゃん」
「言ったな!」
今にも着物を脱ぎ捨てて、階段を破壊するような勢いで上がって行きそうなしおりを母が止めた。
「まあまあ、しおり、落ち着いて。もうすぐ、お隣の愛川さん達も来ると思うし……」
「え? 姫乃お兄ちゃんが?」
「ええ。一緒に初詣でに行きましょうって……」
母の言葉にしおりは慌てて鏡の前に飛んで行って言った。
「お母さん、すそ乱れてない? 髪の毛これで大丈夫かな?」
「そうね。ちょっと可愛いかんざしでも付けましょうか」

「ちぇっ。しおりばっかいいの。さくらお姉ちゃんも初詣でに行かないかな?」
歩が隣の家の窓を覗く。が、今日に限ってさくらは留守のようだった。
「お姉ちゃん、留守なんだ。もしかして、他の誰かと初詣でに行っちゃったのかな? それってひどいよ。おれの他にどんな魅力のある男がいるっていうんだ! お姉ちゃんに似合う男はおれだけなのに……」
歩は閉まったままの窓に向けて、不平やら不満やら妄想やらをふつふつとぶつけた。
「歩くーん。そろそろ出かけるよ。降りてきて支度をしなさい」
父が呼んでいた。
「はーい。今行く!」

彼が降りて行くと父がうれしそうに新しいスーツを広げて待っていた。しかもそれは歩の趣味からはあまりにかけ離れた物だった。
「お父さん、いくら何でもそれって派手じゃない?」
歩はそれを着せられるのかと思うと思わずわなわなと拳を震わせて言った。
「そんなことないよ。歩くんなら、きっと似合うと思って、お父さんちょっと無理して買ったんだ」
父はうれしそうだった。脇でしおりも笑っている。
「いいじゃない。きっと似合うよ、歩」
しおりが憎たらしいことを言う。
「さあ、着てごらん」
父がせかす。
「着てごらんったって……」
歩は渋々トレーナーを脱いでシャツを着た。それまではいい。ワイシャツは白だからだ。が、よりによってネクタイは赤で上着はピンクの刺繍入りだった。

「ねえ、お父さん、これって女の子用じゃないの?」
「そんなことないよ。ちゃんと男の子用のコーナーで見つけたんだから……。それにズボンだし……」
「でも……」
歩には納得がいかなかった。が、ノリノリの父に着せられて歩は鏡の前に立って思った。
(これじゃ、ほんとに女の子みたいじゃないか。さくらお姉ちゃん、留守でよかった)
「ほうら、とってもよく似合うじゃないの。可愛いよ、歩くん。ほら、こっち向いて」
父はカメラを構えて言った。
「た、頼むよ、お父さん、写真だけは撮らないで」
歩が真剣に言った。
(そんな写真見られたら、きっとさくらお姉ちゃんに笑われちゃう)


そんなこんなでドタバタと賑やかだった準備も終わり、いよいよ初詣でに出かけることになった。玄関を出るともう隣の愛川親子が待っていた。
「わあ、しおりちゃん、やっぱり着物着たの? きれいだね」
姫乃が言った。が、そんな姫乃も紋付袴の着物姿だ。
「お兄ちゃんも着物着たの? カッコいい」
しおりがうっとりと言った。
「うん。成人式は5年後なのに、おじさんが送ってくれてね。お正月に着たら写真を撮って見せて欲しいって頼まれちゃったんだ」
姫乃が言った。
「あら、歩くんも素敵じゃない」
姫乃の母が言った。
「あ、いえ、これはお父さんがどうしてもって……」
歩が遠慮がちに言い訳する。
「おお。姫之君とうちのしおりちゃんも、そうして並んでいるとなかなかお似合いだよ」
父がカメラを構える。
「いやだ、お父さんってば」
しおりがポッと顔を赤らめる。
「いや、実に可愛いよ。まるでお雛様みたいだ」
そう言うと父はパチパチ写真を撮った。


神社の境内はとても賑わっていた。出店もたくさん出ていたし、植木市も開かれている。
「お父さん、あとでりんご飴買ってもいい?」
しおりが訊いた。
「ああ。懐かしいよね、りんご飴。お父さんも買っちゃおうかな?」
「おれ、ヨーヨー釣りやりたい!」
歩も言った。
「ふふ。ヨーヨー釣りだって、やっぱガキよね」
しおりがバカにする。
「何だと? リンゴ飴なんかあんなにバカでかいんだぜ。しおりの食いしん坊」
「言ったな!」
二人はまた口ゲンカを始める。
「ほらほら、そんなことでもめないの。姫乃くんに笑われちゃうわよ」
母の言葉にしおりははっと彼を見上げると、一瞬でしとやかなヤマトナデシコへと変貌した。

「しおりちゃん、おみくじ引こうか」
姫乃が言った。
「そうね。わたし達の未来を占ってみましょう」
そして、くじを引いた。
「小吉か。あ、でも、恋愛運は今年最高だって……」
しおりは満足した。
「お兄ちゃんは? どうだった?」
しおりが訊いた。が、姫乃は背を向けて肩を震わせている。
「ど、どうしたの? お兄ちゃん」
心配したしおりが覗き込むと、彼は凶と書かれたおみくじを握り締めて泣いていた。
「凶だなんて……凶だなんて……僕、今年は受験なのに……。これからこの一年をどうやって過ごしたらいいの?」
「大丈夫よ。お兄ちゃん。次はきっと大吉が出るわ。ちょっと! そのおみくじもう一回やらせて」
巫女さんが持っているくじが入っている筒をひったくると、姫乃に渡して微笑んだ。

「ほら、お兄ちゃん、もう一回引いてみよう」
「う、うん。そうだね。いくら何でも2回続けて凶ってことはないだろうからね」
姫乃も苦笑しながらおみくじを引いた。ところが……。棒を渡すと巫女さんがその番号の札をくれた。そして、広げて見た彼は凍りついた。
「どうだった? お兄ちゃん」
しおりが覗く。と、まさかの凶と書かれている。
「バカな? こんなのインチキよ! ちょっと! 冗談じゃないわ。正月早々凶が出るなんて縁起でもない! とっとと大吉よこしなさいよ」
と巫女に詰め寄るしおり。
「そ、そう言われましても……」
彼女が困っているとその手から筒を奪い取って言った。
「さあ、今度こそ大吉よ。引いて。お兄ちゃん」
差し出されて姫乃が力なく筒を振る。と、するりと底の穴から1本の棒が落ちてくる。
「33か。よし! いい数字ね。3は桜のお姫様っていうし……。それじゃお願い。今度こそ大吉をちょうだい!」
「は、はい」
しおりの迫力に押されて、巫女はつい頷いてしまった。が、彼女は数字の通りの札を渡すだけである。

「はい。お兄ちゃん。今度はどうだった?」
が、あろうことか3度目もまたしかりだったのである。
「ひ、ひどいよ。僕、何も悪いことなんかしていないのに……3度も凶を引いちゃうなんて……なんていう悲劇……なんという悲運。こんなのってあまりにも最悪過ぎる。これから先、僕の人生にとって、もう光が射すことはないのだろうか? それとも、僕は永遠にこの世の闇をしょって生きなければならないのか……永遠に……」
そんな姫乃の様子を見てしおりは激怒した。
「ちょっと! このイカサマおみくじ野郎! お兄ちゃんを泣かせちゃって、どうしてくれんのよ!」
「どうしてと言われましても……」
巫女さん達がうろたえる。
「今すぐ大吉のおみくじと取っ替えなさいよ」
と、詰め寄る。
「そ、そう言われましても……」
「言われましてもじゃ済まないわよ! 今すぐ取り替えてくれないと言うなら」
バンと平手で台座を叩くと周囲に風が巻き起こり、石材でできている台座がきしんだ。
「ひぇっ」
巫女達は震えるように身を寄せ合った。

「さあ!」
彼女が拳を振り上げると唸るように風が纏わる。その時だった。温和な顔をした神主さんが現れて言った。
「ほう。凶を3度も続けて引いたとは……何という強運の持ち主。あなたは才能豊かで出世する相を持っておりますな。この凶はただの凶ではない。大吉ならぬ大々吉報間違いなしじゃ」
「それっていいってこと?」
しおりが訊いた。
「無論じゃ。滅多にない特別な大吉じゃよ」
神主の言葉にようやく姫乃は泣き止んだ。
「何だ。そうだったんだ。さすがは姫乃お兄ちゃん。人とは違う特別な大吉を引き当てるなんてすごいわ」
しおりが言った。
「そ、そうかな?」
「そうよ。こうなったら、わたしお賽銭奮発しちゃおうかな?」
そう言って、境内の奥へと進んだ。

そこには先に着いていた歩達がいた。順番を待っていると不意に誰かに声を掛けられた。
「歩くん」
それはよく知った人だった。というか憧れの人だった。歩の胸はきゅんと高鳴った。
「さくらお姉ちゃん」
「あら、あなたはお隣の歩くんだったわね。まあ、ちょっと見ない間に大きくなっちゃって……」
と言ったのは、さくらの母だった。隣には父親もいる。
「今朝の飛行機でアメリカから帰って来たのよ」
さくらが説明した。
「それで、せっかくだから初詣でに寄ろうということになって……」
「それじゃあ、もうずっと日本にいるの?」
歩が訊いた。
「残念だけど、1週間したら、また戻らなくちゃいけないの。そしたら、またさくらはひとりぼっちになってしまうから、歩くん、どうかよろしくね」
さくらの母に頼まれて歩は悪い気がしなかった。
「任せといてください。おれ、必ずさくらお姉ちゃんのこと守ってあげますから」
「まあたくましいこと」
さくらの母は上品に笑って言った。

「ところで、歩くんは何をお祈りするの?」
さくらが訊いた。
「おれは……」
(まさか、さくらお姉ちゃんと進展がありますようになんてのはまずいし……)
「学校の成績が上がりますように……かな」
「まあ、可愛いのね。そのスーツもとても可愛くて似合っているけど……」
さくらが微笑する。
「え? そうかなあ。これ、お父さんが買ってくれたんだけど……。さくらお姉ちゃんは? 何をお祈りしたの?」
歩は照れくさそうに笑うと言った。

「わたし? それは……秘密」
「えーっ? ずるいよ、お姉ちゃん。おれだって教えたんだから教えてよ」
「それじゃ、歩くんにだけ特別に教えてあげる」
さくらはその耳元に囁いた。
「今年のミスコンで優勝すること」
「お姉ちゃんなら絶対いけるよ。おれ、神様の代わりに保証する」
歩が言った。
「ほんと? うれしいわ。やっぱり歩くんって頼りになりそう」
さくらに言われて彼は満足した。
「へへ。今年は新年早々幸先いいぜ」
歩は満面の笑顔でお祈りを済ますと、背後を振り返った。そこには何処かで見たような、というか、歩の家の前でまんじゅうのことでもめていた、街のゴロツキ三人組がいた。

「あれ? おめえは例の『ラブキッズ』の片割れ」
ボスの本村が言った。例のつぶあん好きの兄ちゃんである。
「ガキのくせにピンクのスーツなんか着ちゃってイキだねえ」
みそあんが好きだという、髪を尖らせているのに何故か田舎好みの宮下も言う。
「あは。なかなか似合ってるぜ、弟よ」
こしあんと弟好きの木根川が歩に色目を使う。
「何だ。おまえらか」
歩は木根川の視線を逃れ、興味なさそうに言った。
「おれ、もうお祈り済んだからいいぜ」
そう言って、歩はぽんっと石段を降りた。

そんな歩と入れ替わるように、強引に割り込んできたのは、この間、日比野家の前でグミを巡ってもめていたあの3人組――岩田、鴨居、そして吉永だ。
「おめえ、何祈る?」
リーダーの岩田が他の二人に訊いた。
「おれは、やっぱ今年こそは姫乃ちゃんともっと仲良くなりたいなあってことかな」
鴨井の言葉に、岩田が反論する。
「そいつはリーダーのおれが先に決まってんじゃねえか」
「姫乃ちゃんもいいけど、おれはやっぱりしおりちゃんかなあ」
うっとりとした目つきで、妹系が大好きだと公言している吉永が言う。

「何だ? てめえら変態か?」
ぐいと押されて真ん中より少し端になってしまった本村が、彼らを押し返して言う。
「しかも割り込みやがって」
宮下も続ける。
「おれ達の方が先なんだぞ」
木根川も文句をつける。
「順番はちゃんと守ろうぜ」
大人として、未熟な中学生に指導してやろうとばかりに本村が言った。
「そうそう。街の秩序は大事だからね」
誰よりも秩序を乱していそうな、過激なスラングの織り込まれたジャンバーを着ている宮下まで、そんなことを口にした。
「とにかく、歩くんの触った縄はおれが最初に触るんだからな」
と言う木根川のあまりにずれた発言に、他の5人の男達は白い目を向けた。

「割り込みも何もこっち側空いてんだからいいじゃんか」
「そうだよ。おれ達だってずっと順番待ってたんだぜ」
「そうそう。おれも、ずっとしおりちゃん来るのを待ってたんだ」
中学生達が文句を言う。
「待ってたって言うんなら、おれ達だって条件は同じさ」
本村が睨む。
「そうだ。おめえらみてえなひよっこは大人しく後ろに付きな」
宮下も凄む。が、中学生達も譲らない。彼らは賽銭箱の前で睨み合った。
「そうだよ。おれだってずっと歩くんを探して朝から境内うろついて、やっとさっき会えたんだ。この縄は誰にも触らせねえ」
木根川がぎゅっと掴んで立ちはだかった。

「変態め!」
岩田が言うと本村も返す。
「おめえらこそ男の姫乃に熱上げてる変態野郎じゃねえか」
「そんじゃあ、こいつは変態じゃねェとでも言うのか?」
アップルグミが最高だと言う鴨井が、縄を抱えて放さない木根川を指差して言った。
「てめえにだけは言われたくはねえな」
木根川が反論する。
「そんなこと言うなら、どっちが変態か決着つけようぜ」
オレンジグミが一番好きなリーダー・岩田が仕切って言った。
「おもしれえ、ならやってみようぜ」
宮下が挑発に乗った。という訳で、男6人入り交え、こともあろうに神様の前で大乱闘になった。

「ちょっと! あんた達、いい加減にしなさいよ! これじゃ、いつまで待っても順番が回って来ないじゃない」
10人ほど後ろに並んでいたしおりが怒鳴りつけた。
「あ、しおりちゃんだ。着物姿で超可愛い!」
妹系が大好き、グミの好みはパイン味の吉永が興奮する。
「あ、姫乃ちゃーん、こっちこっち」
「姫乃ちゃんも着物着てる。かーわいいっ!」
岩田と鴨井も投げキッスなど送っている。

「くそっ。てめえらふざけんなよ」
本村が怒る。
「そうよ。姫乃お兄ちゃんはわたしだけのもんなんだかんね。勝手な真似は許さないんだから!」
しおりがダダダッと石段を駆け上がる。当然、邪魔な着物のすそをまくっての突進である。
「すっげえ! 見えちゃいそう」
「色っぺー!」
我を忘れてリーダー岩田とボスの本村が叫ぶ。
「ふざけるなよ! てめえら、しおりちゃんはおれがはじめに目ェつけてたんだかんな」
吉永が怒鳴る。

「そんなことどうだっていいよ! あんたらまとめてぶっとばしてやる!」
しおりの周囲に突風が吹き、もめていた男達を次々と拳で叩きのめす。それから、一人ずつ階段の下へ投げ落とすとパンパンと手を打った。最後に投げ落とされた吉永が、丁度屋台で買ってもらったばかりのイカ焼きを食べようとしていた歩とぶつかった。その衝撃で、歩の手からイカ焼きが飛んだ。
「あ、君ってしおりちゃんの弟だよね? ねえねえ、今度しおりちゃんにデート申し込みたいんだけどって伝えてくれないかなあ。でさ、しおりちゃんて何が好きなのか教えてくれない? しおりちゃんに投げ飛ばされて、彼女の弟のところに飛ばされるなんて、ほんと、おれって縁があるんだと思わない?」
歩に抱きついたまま吉永がうれしそうにしていたが、イカ焼きを食べ損ねて身を震わせている歩の矛先が何処に向いたかは説明するまでもないだろう。周囲には風が吹き荒れ、可哀想に吉永は思い切りボコされてのしイカのように転がされることになった。

一方、邪魔な男達を一掃して賽銭箱の前をクリアにしたしおりは、改めて神聖な気持ちに切り替えて神様にお祈りをしようと奮発した50円玉を出した。が、鈴を鳴らそうとするとその縄にしっかりしがみついて離れない奴がいた。
「ちょっと、そこどきなさいよ」
「いやだよ。これ、歩くんが触った縄なんだもん」
木根川が言った。
「もうっ! 放しなさいってば!」
「いやだいやだ」
しおりは実力行使に出た。木根川ごと思い切り引っ張って揺すったのである。そこに生まれた小さな風が渦巻き、発達した。次の瞬間、建物がみしりと鳴った。それから風は大きな竜巻となり、建物がピシピシバリバリと音がして、天井が落ち、柱が折れ、すべては崩壊していった。が、幸いにも怪我人はなかった。被害は神社の建物だけで済んだ。これも神のご加護であると言って、神主は神に向かって感謝した。

それからしばらくの間、この神社には、
『改修工事のため、関係者以外の立ち入りを固くお断り申し上げます。』
と張り紙がされた。

「それにしてもビックリだったね。突然、神社が崩壊するなんて……。しおりちゃん達が無事でよかったよ」
何も知らない日比野家の父がのほほんと言った。
「ほんとね。老朽化してたのかしら? それとも手抜き工事?」
母も言った。
「そんなのどっちでもいいじゃない。ねえ、伊達巻忘れないでよ」
しおりが言った。
「おれの栗きんとんとイカ焼きも」
歩が言った。
「お母さん、僕達も買い物して行きましょうよ」
姫乃が言った。
「そうね」
姫乃の母も笑って答える。
「それじゃ、みんなでそこのコンビニに寄りましょう」
さくら達も賛成し、彼ら向こう隣の3軒の家族は皆、和気藹々と新しい年のスタートを切ったのである。